『ピーアール』
05’ 8月31日(水)

高校3年生の頃の自分は、この時期にもう進路を決めていただろうか?
夏休みってのは一つの区切りですよね。
そんなワケで唐突に進路についてお話してみたいと思います。

わたくし小笠原が卒業後の進路を考えて行動を起こしたのは
確か夏休みの時期よりも遥かに遅く
年末か年明けに専門学校に問い合わせをしたような記憶が・・・・あるような?
遅すぎだ。
そんなに遅かったっけ?
もっと早かったかな?
忘れた。
でも進路をどうするかについての答えは、もっと以前から決まっていたので
あとは実行に移すかどうかという問題だけでした。
進もうと決めていた学校は早い者勝ちで入学が決まる専門学校だったので
いやぁ、間に合ってよかったね。
それまでは親には内緒にしていました。
専門学校に問い合わせてOKだったら話そうという魂胆だったので。
「東京に行く」と決まったらクラスメイトはビックリしていたねぇ〜。
今ではすっかり音信普通だけど。

その後、両親も放任主義パワー爆発で無事に東京へ送り出してくださり
新聞奨学生制度を利用し(新聞社で学費を払ってくれるシステム)
新聞販売所に住み込みをしつつ専門学校でアニメーター課を受講。
実りはあったかな?無かったかな?どうでしょう?
けっきょくゲーム開発の道へ進んでしまったので
課としての意味は無かったかも。
就職口を探すのには先生のアドバイスや学校にある情報が役に立ったけどね。
あ、でも最初からゲーム課に進んでいたら
そんなに上手く就職できていなかったのかもしれません。
実際、グラフィックカーとしての就職口を探したワケだから
絵とは関係ない講義(プログラムとか)が多かったゲーム課に入っていたら
余計な時間を費やしていたことでしょう。
絵を描くことを主体とした生活をしたかった自分なので
アニメーター課を選んで正解だったのかも。
朝夕の新聞配達と集金をした後でも
それでもまだ絵を描くパワーが溢れていた当時の自分・・・凄いな。
絵を描きたいと思う熱は今でも変わりませんけどね。
今でも仕事明けには、やっぱり自分の絵が描きたくなるし。
いつ休むんだよ、オイ・・・

と、そんな自分でしたが、先にも述べた通りゲーム会社に就職が決まり
ロボットを描き続ける毎日が始まったワケです。
研修期間は本当に毎日毎日ロボットを描き続けていたねぇ〜・・・・
正式社員として働き始めても毎日毎日描いていたねぇ〜・・・・
遊んでいたワケではないですよ?
プレッシャーと自分の画力の壁に押し潰されそうになりながら
描いている途中の絵を後ろから覘かれて笑われたり
自分の無知さという痛いところをグリグリとほじくられたりして
泣き泣き毎日絵を描いていたのです。
辛かった。
手も指も痛くてね、それでも我慢してペンを握っていました。
辛いからといって絵を描くことを止められなかったしね
今でもそうですが
辛い!気に入る絵が描けない!という穴の中へ落ちて行くことは日常茶飯事。
ほぼ毎回です。
でも描き続けていると突然壁がブチ壊れることがあるんですよ。
自分でも驚くほどのキッカケをつかめることがあるのです。
一日中描いていても、それをつかめないときもあるけどね。
ラフの一枚も決まらない!って。
でもそれで描くのを止めちゃうような人は
絵を描いてゴハンを食べて生きては行けないと思う。
描けないからって止めないで、描けないなら描けるまで頑張ろうよ。
そんな自分の中の法則(?)があります。
人それぞれかもしれませんけどね。
単純に描けないのが悔しくて負けたくなくて描いてるのかも?
どうだろう?

「どうやって描いたらいいですか?」とか
「絵が描けません、どーしたらいいですか?」とか
そんな質問を受けることがあります。
上手くやって行く方法なんて人それぞれで
描写の方法、水彩の使い方、ペンの使い方、ソフトの利用など
道具の使い方、説明書的な情報は必要だろうけど
自分が描きたい絵のイメージは、その人の頭の中にあるものですから
どんな道具を使ったところでゴールは変わりません。
自分自身の力で乗り越えましょう。
絵描き人生にも「こうすればいい」なんて決まった道は無いと思います。
そんな道があったら誰でも成功しているだろうしね。
わたくし小笠原にも辛い経験があります。
「家賃の引き落としまでにお金が振り込まれているだろうか?」
という心配をするような切羽詰った時期もね。
(それはまぁ、新企画がスタートするからということで
それまで仕事を入れないようにお願いされていた時期があったからなんだけど)
でも何か軽いアルバイトを探してしまうと
お金を稼ぐことが主体となって、どんどん絵から離れてしまう怖さがあったので
ひもじくても我慢しましたよー。
当時はフリーで仕事を始めたばかりでしたから
名前も世間に出ていませんでしたし
ゲーム会社に就職していたツテがあってデザインの仕事をしてはいましたが
そのツテが無ければ死んでいたかもしれません。
今、何のツテもなく、無の状態からデビューを狙っている皆さん
絵を描いて生計を立てて行こうと考えている皆さんは
そういう部分でオイラよりも苦しいスタートを切るワケで
・・・・・本当に苦しいですよぉ〜。
オイラも仕事のオファーが調子よく飛び込んでくるようになったのは
フリーで働きはじめて4〜5年経ってからですからね。
ロボットを描かない自分だったら、さらに遅かったことでしょう・・・
というか挫折していたかも。
ですから、この道を選ぼうという挑戦者たちは
そういう苦しみを覚悟して臨んでください。
グッドラック!

小笠原の父がわたくしの進路決定の際に言っていた言葉があります。
「人と違う道は苦しいぞ。」
『耳をすませば』で雫の父も言っていましたね。
パクリだ!!(違うよ)
でも確かにその通り!
そして絵描きとしての苦しみは、この先まだまだ続くようです。
ふぅ・・・

それともう一つ。
絵描きなんて老後の保障も社会的保護も望めないと思うので
親も自分も歳を重ねると泣きたくなるかもしれないということを
覚えておくといいかも。
いいというか、将来不安ですよ?と言っておきましょう。
わたくしは老後のことに楽観的なので(←ほとんど考えていないってこと)
何なら今すぐおじいさんになっても、それはそれでGOODかもしれない。
毎日公園で絵でも描いて暮らそうかな?なんて。
あぁ、本当に楽観的だ。
生きてんの?死んでんの?どっちが好きなの〜?

そんな捨て鉢なことを言っておきながら
あぁ、自分もアシスタントをお願いしなくちゃならないのかなぁ〜
と前向きな計画を思う最近の小笠原です。
共に地獄に落ちようぜ〜、なんてネ。
ほほほほほほほほほほほほほ
手伝ってもらえるような友人がいれば良かったのですが
とにかく人付き合いが悪いオイラなので絵描き友達が極端に少なくてね。
仕事で知り合う方々なんて、どなたもビッグな方ばかりで
恐れ多くて恐縮しちゃうこと山の如しだし(←使い方が違う?)
支え合える絵描き友人を持っている人は、さぞかし心強いんでしょうねぇ〜。
そういう友人を探せるのも専門学校のいいところかもしれません。
自分は探せませんでしたが。(探してもいなかったけど)

なんだか今日の日記はやたらと長くなりましたが
全部ウソですから。
あ、いやいやいやいや、そんなことないです。(汗)
経験談ですから。
本当のことばかりですから。
少しは誰かの参考になるのでしょうか?
どうでしょう?




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